『失楽園』を語ったのでそろそろ当マンガの主役、サタンについて語ろうと思います。
「SATAN-サタン-」その名前の意味は"敵対する者"
サタンの名前は旧約聖書から見られ、新約聖書にも書かれています。
イスラム教ではシャイターンがサタンに相当する語とされます。
サタンとはヘブライ語で"敵"という意味です、旧約聖書の原本が原則ヘブライ語で書かれていますから、今現在はサタンは悪魔の固有名詞としてとらえられていますが、当時は「サタンがやってきた」という文なら「敵がやってきた」とまんまの意味で読まれた箇所もあったようです。
「敵」と一言に言っても旧約聖書でのサタンは、今映画やマンガでイメージされるサタンのイメージとはかけなはれています。
サタンが登場する代表的な話が「ヨブ記」です。
「ヨブ記」ではヨブと言う信仰心の厚い男の人が主人公です。
もちろん、人一番信仰心の厚いヨブに神=主も気付いていました。
あるとき、主の前に御使い達が集まりました、そこにはサタンもやって来ており、主はサタンに語りかけ、ヨブの事を自慢します。
「お前は私の僕ヨブに気がついたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
神の言葉にサタンも言葉を返します。
「ヨブが利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をあなたが全て祝福するおかげで、彼の家畜は地に溢れる程です。ひとつこの辺りで御手を伸ばして彼の全財産を取り上げてごらんなさい、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
その言葉に主は考え、サタンに告げました。
「それでは、彼のものを一切、お前の好きなようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」
こうしてサタンはヨブの信仰心を試しに行きました。
この話は神とサタンの"賭け"とも言われます。
サタンはヨブの家畜を殺し、家族や友人を失わせ、ヨブ自身も病に追い込み、非道の限りを尽くすのですが、あくまでそれは神の許す範囲でです。
神様が「ヨブを殺すのだけはダメ」という条件を出しており、それに従ってサタンも彼の命までは奪いませんでした。
結局、ヨブは最後まで神を信じ、神もそれに答え彼を手厚く祝福し、以前よりも豊かな生活を送りめでたしめでたしで締めくくられるのですが、この話の結末にサタンは出て来ません。
サタンは果たして悪なのか?
少なくとも、旧約聖書を読んだ限りでは酷い事はすれども"悪"とまではいかず、サタン自身も御使いの一人として神を敬っているように思えます。
人間達を監視し、試みる事はあってもそれはあくまで神のため、ひいては愚かな人間がどれほど神を信じているか、信仰心を確かめるために起こした行動のようです。
信仰心を試すのにここまで酷い事をするなんて神様がやることじゃない。これはサタンが独断で起こした行動だ。サタンが悪いやつだからこんな事をするのだ。という解釈も、後の世には起こって来るのですが…。
確かに…サタンの試みはだいぶやりすぎですが、旧約聖書上ではその後サタンが罰せられたという記載は無く、それよりもバアルなど他神の神々の方が明らかに敵対視されており、彼らの方が風当たりは強いのです。
旧約聖書が書かれた時代、唯一神の"敵"はサタンよりも他の神々でした。
ではいつ、サタンが神の最大の敵と成り得たのか?
次回はその話を語ろうと思います。
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